「好きだよ」「愛してるよ」違い。「真実の愛」とは?

「好き」Likeと「愛する」Loveは、違いが分かりにくいです。

今回はその違いをまとめてみました。

好き

第一情動作用である「快」か 「不快 」かの2択の内、「快」が「好き」の感情である。

「快」が「好き」であり、「不快」が「嫌い」となる。

動物にもある情動であり、受動的に起こる情動であり、本能的なもの。

【感情はどこから来るのか?】「快・不快」は「善・悪」ではない。

愛する

「快」か 「不快 」に関わらず、相対のためにする行為。

人間にしかない行為であり、高次元的であり、主体的。

育むもの。

「好き」と「愛する」と混同しない。

「愛しているよ」という言葉を使いながら、自分から主体的に愛していなかったり、本能的に何か我慢できず相手を見ているならば、

それは「愛」がなく「好き(快)」であるかもしれない。

  • 主体的か受動的か?
  • 本能を超えた高次元的なものか?
  • 本能が先走ってるか?
  • 育んでいくものか?

この質問で「愛している」か「好き」か区別できると思います。

真実の愛

「アナと雪の女王で」言われる「真実の愛」True Loveとは何か考えました。

この映画では「真実の愛」を

  • 雪だるまのオラフが、自分が溶けてでも、アナを温めるために暖炉の方に連れて行く行為。
  • クリストフが、アナを命がけで助けようとする行為。
  • アナが、自分の命を超えて、エルサ(姉)を助ける行為。

これらで表しています。

でも、こんな風に命を捨てて(主体的に)相手のためになる何て

こんなことは、レベルが高く、よっぽど愛されて生きてきた人か、一部の聖人でないとできなさそうです。

「真実の愛」は「親の愛」

しかし、ある程度「真実の愛」というものは誰でも持っているかもしれません。

それは、親の愛です。

親の愛は、自分の命をかけてでも子供のためにする愛です。

父性・母性とも言われ、本能とも重なる部分ではありますが、親の愛は主体的であり、高次元的であり、育むものです。

例えば、母親がいくら母乳をあげてもあげても、またあげたい。

その様な、自発的で主体的な愛です。

子供は「親の愛 = 真実の愛」を充分に受けながら育つと、「真実の愛」がどういうものか分かるのです。

また、そういう子供がその「真実の愛」を、兄弟や、友達や、周囲の人に実践しながら大きくなります。

さらに、そういう子供が親になり更に「真実の愛」を実践するのです。

真実の愛」による夫婦、社会、国家、世界

  • 好き嫌いは生存作用的に起こるもので、
  • 愛するは、主体的で高次元的に相対のためになる行為

です。

その起源は、親の愛だと思われます。

また親の愛の起源は、男女であり、夫婦です。

本能的に感じる「好き」「嫌い」ではなく、

「真実の愛 = 親の愛」で主体的に相手のために努力する男女が、夫婦になり、

家庭を成し、社会を作り、国を作っていければ、より幸福な世界になるのではと思いました。