- 愛が先にあって、人の命が生まれたたのか?
- 人の命が先に生まれ、愛が後ででてきたのか?
「愛」を、辞書を見ると下記の様に書いてあります。
あい[1]【愛】
個人の立場や利害にとらわれず、広く身のまわりのものすべての存在価値を認め、最大限に尊重して行きたいと願う、人間本来の暖かな心情。
(引用: 三省堂 新明解国語辞典 第5版)
要約して
「自己を超越して、他のためを願う心情」
としてみます。
お母さんは、自己を超越して、自分の命を超えて、子供を生みます。
つまり、愛が先にあって、命が生まれるのです。
自己を超越して、死ぬほどの激痛を伴ってまで、子供を産みます。(出産時だけでなく、妊娠中も、子供のために自己の苦しみを越えます。)
人類の始まりから、
「愛が先に存在していて、命が後で生まれた」のだと思います。
お母さんのお母さん、そのまたお母さん、そのまたお母さん、人類を遡っていくと、アメーバや類人猿か、神様かがいます。
進化論でも神様論でもどちらでも良いですが、アメーバでも類人猿でも神様でも子供を産みます。
遡って最初のお母さんも、自己を超越して、子供を生んだと思うのです。
動物は本能で妊娠し出産しますが、自己を超越するので、やはり本能的でも「愛」だと思います。
全ての母親が、愛が先にあり命を産んだのです。
誰でも皆、愛から産まれたのです。
誰でもみな絶対に母親から生まれるので、
誰でもみな絶対的な価値があると思います。