科学で証明されたことが、宗教にだけあてはまらない、ことはあり得ません。
ですので、科学には宗教を証明してあげる役割があると思います。
宗教の内容を、科学で証明しきれていない、又は、周知されていないことが、多くあるのだと思います。
ホーキング博士の本「ビッグ・クエスチョン―〈人類の難問〉に答えよう」には、
- 宗教は心の癒す利点がある。
- 「人格を持たない自然法則それ自体が神様」ということもできる。(アインシュタインも同じような考え)
- 陽子などの粒子は、しばしあたりを飛び回ったり、ふたたび消滅したり、別のところに表れたりする。創造主がいなくても、ひょっこりビックバンが起こりうる。
- 宇宙の始まりブラックホールの中は時間が存在しない。ビックバンにより時間が初めて存在して、それ以前は時間がなかった。時間が存在しないところに神の創造が存在するはずがない。
と書いてあります。
宗教の良い部分、自然法則の完全さは神そのものと言っても良い、と認めながらも、天地創造の人格的な神様はあり得ないと言います。
でも、時間がないところに創造がありえないというのが、分かる様で、分からない様な。
時間と空間を超越した全能の神様であると宗教家が言ったら、そうですかそう信じてください、としか言いようがない様な気もします。
今後、科学により分からなかったことの多くが分かっていくとも、書いてありました。
何がいいたいかというと、
宗教間の紛争や、宗教どうしを批判しあったり、宗教自体を批判したり、宗教での問題が多く耳目に入ってくるから、悲しいのです。
神が、人が争ったり、傷つけあうのを、喜ぶのか?
親は兄弟喧嘩している子供を見るととてもしんどいです。
神を理由で争うのではなく、
自分の国や団体や自分のために、
神・宗教を利用しているのでは?
と思ってしまいます。
科学によって、宗教間の統一した見解が持て、宗教による争いがなくなる可能性があると思います。
まだ科学的に完全に証明できないことでも、科学的に合理的思考で、一つの宗教の妥協点を説明することができたらなあと思いました。
自分の存在や自己の利益は後回しにして、科学者も宗教に歩み寄り、宗教家も科学に歩み寄る場、それを発信する場があればと思いました。
科学と宗教の良い部分が活かされ、和合できます様に。
おっと、自分の責任範囲を超えたことを考えてしまったので気をつけなければ。。。
まずは自分の責任内のことをクリアしていこうと思います。