ドーパミンは望むことをやり遂げるためにある。ドーパミンは報酬の期待ででて報酬を得ると終わる。

ドーパミンは報酬期待ででる。実際報酬を得た時の喜びはドーパミンではない。

報酬を期待すると脳内でドーパミンがでて興奮や高揚感をもたらしますが、実際に報酬を得るとそれは終わってしまう。

そして、また新たな報酬期待を見つけては興奮し高揚感をもたらす。

実際に報酬を得た時の幸福感は、ドーパミンがでるのとは違う脳の場所で感じます。

ドーパミンが幸福感をもたらすと思いがちですが、正確には、報酬期待でドーパミンがでて高揚し、実際報酬を得た時の幸福感はドーパミンによるものではないということです。

2001年、スタンフォード大学の神経学者ブライアン・クヌットンは、決定的な実験結果を論文として発表し、「ドーパミンには報酬を期待させる作用はあるが、報酬を得たという実感はもたらさない」ことを明らかにしました。クヌットンは被験者たちに脳スキャナーを装着させ、スクリーンにある記号が表れた場合はお金がもらえる、と説明しました。忠お金をもらうにはボタンを押さなければなりません。記号がスクリーンに現れるやいなや、ドーパミンを放出するセンサーが作動し、被験者は報酬を得ようとボタンを押しました。しかし、被験者が実際のお金を受け取ったときには、脳のこの領域の活動は沈静化していました。つまり、実際に報酬を得た喜びは、脳の他の領域に表れたのです。… 報酬システムが作動したとき、被験者たちが感じたのは「期待」であり「喜び」ではありませんでした。(引用: スタンフォードの自分を変える教室)

「物を得る喜びは、得た後は続かない」というのは、ドーパミンの作用だと思われます。

【物より経験】物の喜びは薄れていき、経験の喜びは残り続ける。

ドーパミンが常に続く生活を望むのは違う。

人間は欲求を満たし幸福を得ます。

幸福はドーパミンだけではない。

欲求満たし幸福感をもたらす神経伝達物質(脳内物質)は、ドーパミンだけでなく、セロトニン、オキシトシンといったものがあります。

セロトニンは心の安定を与え幸福感を与えます。セロトニンがないと鬱になります。

オキシトシンは人とのスキンシップや良好な人間関係ででて、幸福感を与えます。

ドーパミンだけに焦点を当てても、他の脳内物質を無視していたら、幸せになり得ません。

ドーパミンは刺激が強いので、いつもドーパミンが出てる生活こそが幸せだ、と思いがちですが、違いますし、そんな生活は現実できっこありません。

ドーパミンだけ求めていたら、心の安定がなくなり、人間関係をなおざりにすることがあるので注意が必要です。

ドーパミンの誘惑だらけを見抜く。

今の世の中はドーパミンの誘惑だらけですので、常日頃ドーパミンの誘惑を見抜く訓練が必要です。

広告やチラシ、メデイア、ショッピングモール、テレビ、など、見る人にドーパミンを出させてその報酬を手に入れさせようと工夫してあります。

それらの、映像や文字や、キャンペーンなどが、ドーパミンで報酬期待を誘っているものだと、誘惑を見抜ける様にしたいものです。

ボタンを押すとドーパミンがでるようにされたネズミは、ご飯も食べずに死ぬまでボタンを押し続け刺激を求め続けます。

誘惑を見抜けないと、その報酬を実際に手にしたら冷めてしまい、更に次の誘惑により興奮し、冷めて、興奮し、冷めて、興奮し、を繰り返すことになるかもしれません。

またドーパミンは慣れる特性があるため、もっともっと強い報酬期待を求めていくので、注意です。

ドーパミンは望むことをやり遂げ遂げるためのもの。

クヌットンは、ドーパミンは行動を起こすためのもので、幸福感をもたらすものではないことを証明しました。(引用: スタンフォードの自分を変える教室)

人間の脳は下記のようになっているといいます。

  • 前頭前野
    • 右側(上部): 「やらない力」
      左側(上部):「やる力」
      中央(下部): 「望む力」

    まず「何を望むか」を決めていないと、「するのか」「やらないのか」という判断もできないような構造になっているようです。

    ドーパミンは何がなんでも報酬を得ようとする作用があり、やり遂げる作用があります。

    人間が「何を望むか」を決めていれば、ドーパミンは何がなんでもその報酬を得ようとし、やり遂げようとしてくれる。

    ドーパミンは、人生の目的(価値観)を決めたら、目標を達成しようとする存在です。更に次の目標、次の目標と、望む方に進めてくれる存在です。

    読んだ本

    今回はこの本を読みました。正しくは詳しくはこちらを読んでください。