日本人は自己肯定感が低いという調査結果があります。
日本人の意識文化に社会基準というものが根底にあるからだと思います。
社会のルール、社会の目、社会の見方、を根本として生きているからだと思います。
(社会は、他者となされるものなので、他者意識ということにもなります)
日本人は、
自己肯定感の高低を決めるものが
・社会に貢献できているか?
・社会に認めらているか?
という判断基準になりやすいと思います。
そうなると
・社会に賞賛される
・実績がでている
という様な基準で自己肯定感が高低してしまいます。
・社会での貢献している確信がある
・社会で賞賛されている
・社会で実績が出ている
という人は、勝手な判断ですが、2人に1人もいないと思います。
社会基準が自分の価値基準なら、2人に1人も自分に価値を置ける人はいないと思うのです。
親に愛されているかどうかというアンケートには、
日本は諸外国と差はないのですが、
親に愛されいていると分かっていても
家族といるときの充実感が低いのは、
おそらく、日本は社会基準が文化にあるため、家族の中でも社会基準での教育があり、そのデメリットが現れているのかなあと感じます。
全ての人間は、細胞から何から全て、皆、異なります。
皆、唯一無二の存在です。
釈迦の悟り
「天上天下 唯我独尊」
です。
それは、万人平等に生まれながらに唯一無二の価値があるということです。
他者に対しても、社会基準を利用して、自己肯定感を高低させてはいけません。
社会に貢献できているか?社会に良い影響を与えているか?成績が良いか?
は関係がなく
自分にも他者にも
まず第一に、
その存在が価値があるのです。
「唯我独尊」基準が、自己価値を決める基準の根本にあるべきで、
全ての人が、唯一無二の価値があります。
誰が何と言おうと、社会が何と言おうとそれは、不変であり、変わりません。
世界に今までの歴史上にあなたはあなたしかいません。
それが何があろうとどうしても変えることもできない自己の価値です。
日本の社会基準が素晴らしい所は、ルールを守り和する所です。
これはメリットであり、大事にする所だと思います。
グローバル化、日本と外国文化が混同してきたとしても、残すべき部分。
そういう文化は、無形文化遺産として残されるかもしれない。