人間は自発的な時に脳力が最大化される。

人間は、「自発的に活動する時」に「脳力が最大限に発揮される」様です。

人間は本来、自発的で主体的であるものなのかも知れません。

なるべく、人生を自発的に主体的に過ごせる様にした方が、より良い結果が出るということです。

ですが、その自発的な行動が、他人のためになる結果に至らない場合、

いくら能力を最大限に発揮したとしても、自分の中だけで完結して、虚しいものとなるかも知れません。

また、資本主義経済の中では、何のリターンもなく、生活ができなくなるでしょう。

更には、他人に不快や害をもたらす場合は、もっと生活に支障をきたすでしょう。

自発的な主体的な行動をより増やし、その行動が他人のためになる様に作っていけたら、より幸福な人生になると思います。

特別な人だけでなく誰でも、自発的に創造的に生きることができ、それが脳には良い様です。

脳は自発的な活動をする時にこそ 、最大の能力を発揮する 。自発的に何かをやりたいと思った時に 、そのイニシアティヴに沿って活動し 、失敗するなら失敗する 、成功するならば成功する 、といった体験をすることが 、その脳にとってもっとも有機的で意味のある学習につながる 。あっちに行きたいと思っているのに 、こっちに来なさいと無理矢理連れて行かれても 、そのような 「無理 」から学べることは 、自ら学ぶことに較べればどうしても薄いものになってしまう 。行きすぎた合目的性が生命の躍動 (エラン ・ヴィタ ール )を奪ってしまうのも 、それが本来コントロ ール不可能でカオティックな脳のダイナミクスに対して 、ああしろこうしろという過干渉として機能してしまうからである 。 「探索のための安全基地 」は 、自発的に様々なことにチャレンジするということを前提にした上で 、それをバックアップする 、というような役割を果たす 。 「安全 」というところに重点があるわけではない 。あくまでも 、それが存在するからこそ新しいことにチャレンジできるという 、 「探索 」を可能にする条件に重点があるのである 。その意味で 、 「自由放任 」も困る 。自由放任では 、十分に守られていないという危険を感じて 、探索することを止めてしまうかもしれない 。子供にすれば 、いざとなればお父さんが 、お母さんが助けてくれる 、大体の 「正しい方向 」を示してくれる 、と思っているからこそ 、安心して探索することができる 。このような心理的傾向は 、大人になっても基本的には変わらない 。だからこそ 、 「精神的指導者 」 (メンタ ー )と呼ばれる人間の存在が往々にして重要となるのである 。メンタ ーは現実に生きる生身の人間である必要はない 。私のメンタ ーはカントであるという哲学者は多いだろう 。(引用: 本「脳と創造性」)

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