良心教育が社会秩序形成に役立つ。

利己的な欲求が体を動かそうとするとき、「良心の呵責」を感じます。

良心は、人間が良からぬことを犯さない様、見張っている様です。

「良心」そして「良心の呵責」という機能は、誰しも皆持っています。

良心基準は人それぞれですので注意は必要です。

人の違いを理解する【良心基準】

体的な欲求、利己的な欲求が、良心基準に引っかかり、良心の呵責が引き止めようとしますが、良心に従えば従うほど、その良心基準がハイレベルになっていくと思います。

それは煩わしいこと?雑念であり、煩悩なのか?

これは、人間が人間たる所以であり、人間に与えられた特別な機能だと思うのです。

万民が良心の声に従って生きているならば、争いや犯罪は起こらないかも知れません。

(勿論、常に良心の声の従って生きていける人はごく稀かも知れません。)

良心を道徳とした教育が必要だと思います。

ハイレベルですが、教育なので、「教えて育てる」なので、人生トータルで少しづつ良心基準を高めていく、良心に従う人生に発展していけば良いと思います。

良心教育です。

学校の道徳の時間に入れたら、社会秩序形成に役立つと思います。

法的には引っかからないけど、人の心を傷つけてしまうということってあると思いますが、良心はそれをも防ぎ得る力を持っていると思います。

良心は、お父さんお母さんが近くにいなくても働きます。師匠や上司がいなくても働きます。警察がいなくても働きます。

良心は、お父さんお母さんの代わりであり、師の代わりであります。

良心教育、良心思考が広まった世界。
体験して見てみたいです。