人間はまず「存在」する。存在の欲求を満たすことがまず第一の幸福の基盤。

何か本を読んだわけでもなく、生活してきて府に落ちたことを、下記にアウトプットしてみる。

マズローでみても
・生理的欲求→ 「存在」生命を維持するため
・安全の欲求→ 「存在」を維持するため
・社会的欲求→ 「存在」を社会で感じたい
・承認欲求→ 「存在」を認めてもらいたい
・自己実現欲求→ 「存在」を高めたい

第一感情である
「快・不快」
を感じることにおいても
・「存在」の安全は、快を感じるし
・「存在」の危険は、不快を感じる

感情は「快 / 不快」からくるもの。「快・不快」は「善・悪」ではない。

人間は、まず第一に「存在する」ために生きているということだ。

人間の本能作用でさえ「存在する」ができるようにある。
反射作用は、熱かったり、危険を感じると、存在するために作用する。

人間は欲求を満たすことで幸福を感じるが、
まず第一に存在することの欲求が基盤にある様だ。

幸福を感じるためには、
存在の欲求を満たす
「存在を肯定する」
ことが、まず第一だということになる。

欲求の基盤である、存在の肯定感がないと、最低限の幸福感も得られないということになる。

なので、自分にも他者にも、存在を肯定してあげる必要がある。存在を否定する様な脅やかす様な言葉をかけたり行為をすることはしない様にしよう。

他者には特に、存在を脅やかすことは言ってはいけないし、そういう行為もしてはいけない。存在の危機を感じると、必ずそこには反発が生じるでしょう。存在するということが第一の欲求だから。

存在を肯定できず否定し続けると、実際に存在することもできなくなるでしょう。

自信の存在を肯定する存在は下記の通り
1.親(+祖父母)
2.夫婦
3.兄弟
4.子
5.友
6.師
7.社会
8.親戚

1.~4.までは家族です。1.親、2.夫婦は、存在肯定に強力です。

つまり、一番は家庭内で存在の肯定感を高めれるということ。

親として子供たちの存在を永遠に肯定し続けてあげたいと思う。時が過ぎてこの上なく愛されていたと、私が年老いて死んでいなくなってても常に愛されている、と感じられます様に。