ご飯を皆で食べるということ。その短い三食の時間が天国を味わえるチャンス。

近所の家族たちと昼ごはんを共にした。

前日カレーを作り、皆で食べた。

ご飯は家族を意味する。

ご飯を共に食べ大家族になる。

ご飯を食べるだけだけど、それが最高に素晴らしく、それだけで充分なのだ。

それ以上を望む心がある。もっともっと。

ご飯を食べるということは、生きるための基本的な行為である。それ以上でもそれ以下もない。ご飯を食べるのだ。

だから、「もっともっと」とかいう話しではない。

ただ、ご飯を食べるという家族の行為をするのだ。

それで充分であり、それが天国のようなのだ。

ご飯は三食食べれる。その短い三食の時間が天国を味わえるチャンスだ。毎日そのチャンスが与えられているのだ。すごいことだ。

それで充分で、それが最高なのだ。

小欲知足である。私たちは既に持っている。既にある。既に充分に持っているのだ。

最高の時間を毎日ありがとうございます。